第2回
*
一週間後。
明倫館大学の学生食堂は朝の八時から夜の十時までの営業だ。
五時過ぎという時間帯のせいか、早めの夕食をとっている学生が何人か見える。安いし、味もそれなりだし、貧乏な大学生にとってはありがたい場所だ。
食堂の窓際に位置するテーブルに二人の女が座っていた。いずれも水準以上の美女で、通りかかる大学生たちの目を釘付けにしている。
「そうか、美咲にも三ヶ月ぶりに彼氏ができたのね。報告が遅いわよ」
「もう、やめてよ真由」
ポニーテールの、気の強そうな美人……近藤美咲は両手を振って照れた。
速水は同じサークルに所属している同級生だ。今年の春先にサークルで知り合い、彼のほうから告白されて付き合いはじめた。
美咲にとっては三ヶ月ぶりにできた彼氏だった。
(あっちのほうも最高なのよね、彼)
美咲はこの間、彼に抱かれたときのことを思い出し、ひそかに頬を染めた。
彼女の初体験は高校二年生のときだ。高校時代の男性経験はその一人だけだが、その後大学に入り、親元を離れた開放感もあって何人かの男と寝た。
今考えれば、大人になろうと背伸びしていたのかもしれない。だが、今は好きな相手がいるので一年のときのように遊んだりはしていない。
簡単に体を許すような安っぽい女にはなりたくない。
速水好みのイイ女になろうと日々奮闘中だった。それに彼とのセックスだけで十分に満たされているので、今さら他の男と寝たいなどとは微塵も思わない。
心も、そして体の相性も抜群──
速水は、美咲にとって理想の恋人だった。
「ラブラブなんでしょう? 独り身の私には羨ましいわ」
「嫌だな、あたしは別に……」
「照れないでよ。祝福してあげてるんだから」
黒髪の眼鏡美人……篠原真由がくすりと笑う。
「そういえば昨日ね、同じクラスの男に告白されたんだよ」
美咲は思い出したようにつぶやいた。
「へえ、やっぱりモテるわね」
「馬鹿言わないで。脂ぎったただのデブオタよ、そいつ」
眉をひそめて告げる。
「今ごろそいつ、あたしのことを考えながら一人エッチにでも励んでるかも。あーあ、考えただけでもキモい」
「いつもながら辛らつね」
真由がやれやれという顔をした。
「アイツ、絶対童貞だよ。ああ、気持ち悪い」
想像しただけで鳥肌が立つ。
と、そのとき携帯電話に新着メールを告げるメッセージ音が鳴った。
「あら、彼氏からじゃない? 本当にお熱いのね。それとも──昨日告白してきたっていう人かしら?」
「だからやめてってば」
悪戯っぽく微笑む真由を、美咲は軽くにらんでみせた。
携帯電話を開き、メールの内容を確認する。
「なに、これ……?」
美咲は思わず息を飲んだ。
それは、一枚の画像付きメールだった。
おそらく大学内のトイレだろう。和式便器の前にしゃがみこんでいる姿を下から撮ったような写真。
いつ撮られたのか全く分からないが、そこに映っているのは間違いなく美咲だった。
大きく広げた両足から性器、そしてポニーテールが特徴的な美咲の容姿まではっきりと映っている。
「いつのまに……だいたい、どうやってこんなの撮ったのよ……!?」
目の前に暗い幕が下りてくるような気持ち。
あまりにも突然の出来事に、理性が理解を拒んでいた。信じられない気持ちで、思考が完全にクラッシュしている。
どうして?
どうして?
どうして?
頭の中に無数の疑問符が並び、荒れ狂う。
「美咲?」
心配そうな真由の声も耳には入らなかった。
「こんな写真……卑怯よ」
盗撮、という行為が世の中に存在することは知っているが、まさか自分の身の上に起こるとは夢にも思っていなかった。
誰とも知れない盗撮魔に対して、激しい怒りが湧き上がる。
メールには写真と一緒に、とある場所と時間が書いてあった。
──そこに来い、ということらしい。
「どうしたの、さっきから? 黙りこくって……」
怪訝そうに首をかしげる真由に首を振り、美咲はゆっくりと立ち上がる。
「あたしを……脅迫しようっていうの? 上等じゃない」
唇をかみ締めてうなった。
*
「見てくれた? 僕からのプレゼントだよ」
指定された場所──大学の近くにある小さな公園に行くと、丸々と太った男が美咲の前に現れた。
(こいつが脅迫相手か)
増田冬彦。
英語の授業で美咲と同じクラスなので名前は知っている。この間は身の程知らずにも、彼女に告白してきたし……
美咲と彼で釣り合うとでも思っているのだろうか?
(これだから現実の見えないデブのオタクは!)
考えただけでむかっ腹が立ち、キツイ言葉で彼の申し出を断ってやったのだ。それが、こんなふうに復讐してくるとは考えていなかった。
「どういうつもり? こんなものを送りつけてくるなんて」
美咲は強い口調で彼に詰め寄る。
増田はハンドタオルで汗をぬぐいながら後ずさった。彼女の迫力にすっかり気圧されている様子だ。
「写真を返しなさい」
「い、いやだ……」
「あんたねぇ。自分がやったこと分かってるの? 犯罪だよ、犯罪」
「で、で、でも……」
たじたじとなりながら増田が反論してくる。
「写真は僕が撮ったものじゃないし……だいたい、僕の手元にいっぱいあるんだからね。もしバラされたくなかったら──」
「脅迫しているの? あんた、最低ね!」
美咲は彼を怒鳴りつけた。
「こ、こっちはネタを握ってるんだぞ。ネットにこの写真をばら撒くことだってできるんだ」
「馬鹿じゃないの。その前にあんたが捕まるわよ。盗撮は立派な犯罪なんだから」
美咲がふたたび怒鳴る。
「こんな真似して、絶対に許さないからね。警察に訴えてやる」
「……やってみなよ」
増田の口調が突然変わる。
「失うものなんて何もないんだからね、僕は。僕が警察に捕まるなら、最後にこの写真をネットにばら撒いてやる」
ぶよぶよと無駄な贅肉の付いた体が近づいてくる。互いの息が触れ合いそうな距離で、二人は向かい合った。
近くで見ると、増田の顔は汗だくだ。緊張のせいか、それとも興奮しているのか──
どちらにしても、テラテラと脂ぎった顔が気持ち悪かった。生理的に受け付けないのだ。
「近寄りすぎよ、デブオタ──あっ!」
突然乳房をまさぐられ、美咲は驚きの声をあげた。
太い指先がキャミソールの胸元に食い込んでくる。たっぷりと肉の詰まった双丘を遠慮なく揉みしだいてくる。
「やめなさいよっ」
「ふふふ」
増田の目が爛々と輝いていた。
ツンと突き出した乳房の感触を確かめるようにさすってくる。最初は遠慮がちだったが、徐々に力強いタッチで握りこんだ。
右、左、と順番に乳房を弄ってくる。突然の出来事に美咲の思考はなかば麻痺し、抵抗できなかった。
さらにもう一方の手が腰周りを撫であげる。丸みのあるくびれをたどり、キュッと引き締まったヒップを揉む。
ホットパンツの堅い生地越しにぶよぶよとした指が食い込んだ。胸と尻を同時に弄られ、嫌悪感が体内を烈しく突き抜けた。
「いや……いやよ」
首を左右に振り、ポニーテールがそれにあわせて揺れる。ぐい、とひときわ強く乳房を鷲づかみにされた瞬間、胸元に鈍い痛みが走った。
「痛いってば! 本当にやめて」
美咲は力ずくで増田の手を振りほどいた。
左右の乳房にジーンとした痛みが残っている。尻肉にはさんざんに撫でられた触感が残っている。
洗練された愛撫とはほど遠い、いかにも童貞くさい手つきだった。
「世界中の人間が君の排泄映像を眼にすることになるんだぞ」
増田がハアハアと息を荒げて告げた。
「なっ……」
「もちろん、君の彼氏もね。そうなれば君らの仲も終わりだ。うふふふふ」
(こいつ……)
美咲の表情が硬直した。
──こいつを追い詰めたら、何をするか分からない──
ふと、そんな不安に襲われた。
おそらく彼の言っていることは、ただのハッタリだ。だがハッタリだと言い切れない何かを……それだけの迫力を、彼はかもし出していた。
この写真を本当にばら撒かれて、彼氏との仲がこじれては元も子もない。せっかく理想的な恋人に出会えたというのに、こんなデブ男のために台無しにしたくはなかった。
「ガマンして、一度だけでもヤらせてくれたほうがいいんじゃない?」
心中を読み取ったかのような、増田の台詞。
美咲は唇をかみ締め、目の前のデブ男をにらみつけた。
(こんなヤツを相手に──)
怒りでハラワタが煮えくり返るとは、このような状態を言うのだろう。
「一回だけ。ね、一回だけでいいからさ」
増田が拝むようなポーズで頼み込む。
「一回だけ……」
美咲はうつむき、うめいた。
心臓が高鳴り、胸を圧迫する。
(そうよ、一回だけだもの。こんな奴、生身のバイブだとでも思えばいいんだ)
「やめて欲しかったら、それなりの態度と見返りってものがあるんじゃないの?」
増田が美咲の瞳を覗き込んだ。デブ男の瞳に映る強烈な光を見て、美咲は思わず息を飲む。
彼が何を望んでいるのかは明白だった。
それさえ与えてしまえば、自分の身を護ることができる。
恋人を失わずにすむ。
吐息混じりにゆっくりと顔を上げた。
「……わかったわよ。一回だけヤらせてあげるから、ちゃんと写真は返してよね」
美咲は観念して告げる。
下手に話がこじれるくらいなら一回だけガマンして、さっさと写真を回収してしまったほうが得策だ。
(こんなデブとエッチしなきゃならないなんて悔しいけど……)
*
増田のアパートに入るなり、美咲は顔をしかめた。
「何、この部屋。汚い……っていうか、オタク丸出しじゃない」
あちこちに散乱するエロゲーや十八禁アニメ関連の雑誌。棚には美少女フィギュア。彼女の言うとおりオタク丸出しの内装だ。
美咲は手早く床を片付け、増田ら二人が寝転がれるくらいのスペースを作った。
「じゃあ、さっさと始めましょうか」
当然のような顔をして美咲が服を脱ぎ始めた。
期待と不安が交互に押し寄せて、心臓が早鐘を打つ。あっけないほど簡単な展開で、増田は初体験にありつこうとしていた。
キャミソールとホットパンツを脱ぎ、下着も手早く脱ぎ去ってしまう。
健康的な光沢を放つ裸身があらわになった。無駄な贅肉のない、引き締った肢体だった。
それでいて出るべきところはキチンと出ている。
乳房はツンと上向き、見事な形を誇示している。まろみを帯びた腰から尻にかけてのラインは扇情的で、白い脚はしなやかだ。
胸の膨らみといい、腰の丸みといい、ヒップの量感といい健康美と色香を絶妙なバランスで兼ね備えた裸身だった。
(美咲のオッパイ、いい形してるな。乳首もツンと立っててキレイだし……こんな女のコとエッチができるなんて夢みたいだ)
素晴らしいプロポーションを誇る裸身を目の当たりにし、ごくりと息を飲んだ。ネットのエロ画像でなら腐るほど見たことがあるが、女性のヌードを直接目にするのは生まれて初めてだ。
映像と現実に、これほどの違いがあるとは──
増田は異様なほどの興奮を覚えていた。下腹がカッと熱くなり、股間のイチモツははち切れんばかりに膨張している。
ほのかに漂う甘い匂いは、香水なのかそれとも体臭なのだろうか。どくん、どくん、と心臓が早鐘を打ち、胸が張り裂けそうだった。
「ほら、早く」
手早く衣服を脱ぎ去った彼女がうながした。
顎をしゃくり、嫌そうな顔で手招きする。さっさと終わらせてしまいたい、という投げやり感がありありと表れていた。
「あ……そ、それじゃあ」
増田はぎこちない動作で美咲の体に手を触れた。震える両手で彼女の肩を押しやり、白い女体をベッドに横たえる。
「あ、あの、チューしていい?」
増田は緊張気味に言った。声が、情けないほど震えている。
「好きにすれば?」
ツリ目気味の瞳でこちらをにらみつける美咲に、増田はこわごわと顔を寄せた。可憐な唇にそっと自分の唇を触れる。
ちゅ……
かすかな音がやけに大きく、耳元に響いた。
極上のグミを口に含んでいるような感触だった。柔らかく、それでいて熱い唇が、増田の唇を心地よく受け止めている。
憧れのファーストキスだった。
(ううっ……あの美咲とキスしてるんだ。なんて柔らかい感触……ああ、たまらない!)
一分ほどそうした後に唇を離すと、増田は頬が紅潮するのを自覚した。美咲が訝しげな表情で増田を見る。
「あれ? もしかして初めてだったの」
「……実は僕、いままで女の子と付き合ったことがなくて」
増田は恥ずかしさを堪えて告白した。
「ふーん、キスもしたことないんだ。ダサい……っていうか、あたしがあんたのファーストキスの相手? 勘弁してよね」
ふう、とため息をつく美咲。
増田は黙って罵詈雑言に耐えるしかない。両肩を震わせ、悔しさに唇をかみ締める。
美咲の視線はどこまでも冷たかった。切れ長の瞳には軽蔑の光しか浮かんでいない。
「その……近藤さんは」
思い切って、ずっと気になっていたことを質問した。
「初めてなの?」
「ハァ? あたしを幾つだと思っているのよ」
美咲はポニーテールを振り乱して叫んだ。
「バージンなわけないでしょ。とっくに経験済みっ」
増田の言葉がプライドを刺激したのか、真っ赤になって怒鳴る。
美咲は高校時代、部活の先輩にバージンを捧げたらしい。その後も大学に入ってから何人かの男とセックス経験があるとのことだった。
憧れの女性が過去に複数の男と性交渉を持っていたことを知り、増田は激しく落胆した。
「……他の男と経験があるのか。なんだ、初めてじゃないんだ」
増田にとっては生まれて初めてのキス。
そして生まれて初めてのセックス。
だがそれらの行為を、美咲はとっくに他の男たちと経験している──
増田は強い劣等感を覚えた。
同時に、猛烈な嫉妬心がわいてくる。
どんなシチュエーションで処女を捧げたのだろうか。過去の男たちには、週に何回のペースで抱かれていたのだろうか。
どんな体位で、どんな場所で、どんな服装で……
何回膣内に射精を許したのか。清楚な口をどれだけ広げて彼らのモノをくわえていたのか。そこから熱い射精を何回喉奥でうけとめたのか。
次々と妄想が浮かんでは、増田の心をドス黒くおとしめていく。
自分より先に、美咲の体を貪った男たちが恨めしかった。だが、妬んでも、怒っても、もはや過去は変えられない。
「初めてじゃ、ないんだ……」
落胆のあまり、もう一度同じ台詞をつぶやく。腹の下では、肉根だけが元気を増し、激しく屹立していた。
第三回に続く〜
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