第二回
*
自室に戻ると、増田は早速パソコンを立ち上げた。
サイトの名は『断罪天使』。
管理人の名は『セラフィム』。
最近はこのサイトをのぞくことが日課となっている。表向きは占いや心理テストをおこなえる、ごく普通のホームページだ。
だが特定のパスワードを入れることで現れる隠しページに入室すると、脅迫ネタの宅配サービスを受けることが出来る。
ターゲットとして指定した人物を脅迫できるネタを、画像ファイルなどを添付した電子メールで提供してもらえるのだ。
そして、このページには秘密の体験談が掲載されている。
脅迫ネタの宅配サービスを利用した者は、その使い道を匿名の体験談として報告することが義務付けられていた。増田自身も、前回や前々回のことをメールで送っていた。
「このサービスって、いろんな使い道があるんだな……」
零細企業の社長が取引先を次々と脅して、会社を急成長させた話や、アイドルがライバルたちを蹴落として一気にスターダムまでのし上がった話など、様々な体験談が載っている。
中にはこのサービスを利用して六人の人妻を次々とモノにした、という利用者もいた。
「人妻かあ」
天井を仰ぎ、ため息をついた。
「香澄さん、本当に色っぽいなぁ。女子大生とはゼンゼン違うや」
増田は悶々とした気持ちで、香澄のことを思い浮かべる。着物姿も艶やかな和服美人。
あのしっとりと美しい若妻を、彼女の夫は何十回、何百回と抱いているのだろう。
ベッドの上でも楚々としているのだろうか?
それとも意外に貪婪に乱れるのだろうか?
想像しただけでたまらない気持ちになる。
上品な藍色の着物を剥いてやったら、その下からは人妻ならではの艶やかな裸身が現れるに違いない。
女子大生の若さにあふれた瑞々しい肢体とは一味違う。幸せな結婚生活によって磨かれ、熟れゆく色香。
それを味わえたら、どれほど心地がよいだろうか──
妄想はとめどなく続く。
「勃ってきちゃった……あーあ、何とか仲良くなりたいよなぁ」
増田はふう、とため息を漏らした。
いくら想像をたくましくしたところで、彼女はしょせん人妻だった。他人のものなのだ。
他の男の手の届く存在ではない。
「何とか仲良く……か」
ふと、口の端に笑みが浮かんだ。
意識の奥で、ゆっくりと鎌首をもたげる衝動があった。
ドス黒い、闇の衝動。
他人の裏側を暴き、掘り返す絶対の力──
「このサイトを使えば、ああいう高嶺の花でも口説き落とせるのかなぁ」
ぶよぶよとした手が、ゆっくりとキーボードに伸びていく。
──ターゲットの情報を入力してください。
もう一度メッセージを読み、大きく息を吐き出した。
池……畑……香……澄
ゆっくりと入力する。藍色の着物を着た和風美人の笑顔が、増田の脳裏で鮮やかに再生された。
*
今日は珍しく夫の帰宅が早かった。いつもは夕食を外食で済ませる夫の洋介(ようすけ)だが、今日は香澄が思う存分手料理を振る舞える。
「戸締りには十分に気をつけるんだよ」
洋介が言った。
「ニュースでやっていたけど、この辺りで婦女暴行事件が多発してるって」
「隣町でも何件かあったみたいね」
香澄がため息をつく。
ちょうどテレビのローカルニュースで、その事件のことを取り上げていた。
ここ数週間、更級(さらしな)市内で急増している連続レイプ事件。
この町や隣町を中心に何人かが被害届を出しているということだった。犯人は覆面をかぶっていて、昼夜問わずに女性を無差別に襲っているのだという。
「物騒な世の中だわ」
憂鬱な気持ちでつぶやく。
もし自分が被害にあったら、夫はどんな顔をするだろうか?
人妻でありながら、他の男に肌を許す──
想像しただけで身震いするような禁忌の思いが湧き上がる。
不倫を楽しむ人妻がごろごろといるご時世だが、彼女自身の貞操観念は固かった。夫を裏切り、別の男とセックスをするなど考えられない。もちろん、彼女にも人並みの恋愛体験はあるし、その中に体を許した相手もいた。
だが今の彼女はれっきとした人妻なのだ。夫以外の男には生涯肌を許さない。そんなことを考えながら、洋介の横顔に視線をやった。
香澄が、彼と結婚して三年が経つ。
正直恋愛感情という面だけなら、今の夫よりも激しい思いを抱いた相手もいた。
だが結婚となれば話は別だ。一緒にいて安らげる相手を──落ち着ける相手を選びたい。
それが香澄の結婚観だった。
激しさよりも、癒しを。
学生時代の恋愛ならいざ知らず、結婚生活において彼女が最も優先するのはそこだった。
そして香澄は、親に勧められた見合いの席で現在の夫と出会った。年齢は五つ上。重役の息子で一流商社に通うビジネスマン。
容姿や性格に、強烈に惹き付けられるものはなかった。若くして社内の出世頭だということだが、その割にぎらついたところもなく、穏やかな雰囲気をたたえていた。香澄は、そこに惹きつけられた。
半年の交際を経て、香澄は彼のプロポーズを受け入れた。結婚生活は平凡だったが、幸せと呼べるものだった。
──その日は、一週間ぶりに夫と寝た。
洋介が香澄の腰を引き寄せるようにして、ピストン運動を続ける。
ベッドの上で白い裸身が激しく踊った。むっちりと肉付きの良い体だ。脂ののった乳房や尻、太ももは二十六歳の若妻ならではの魅惑的な女体だった。
「はぁっ、あ、あぁ……・もっと、もっと来て!」
香澄は貪婪に叫んだ。
勃起しきった器官が熟れた膣洞をえぐっていく。張り出した肉エラで粘膜を削られ、そのたびに痺れるような感覚が内部に駆け抜ける。
ジン、とした快感に香澄はうっとりとなった。
久しぶりのセックスに陶酔していた。
あなたの逞しいもので熟れた肢体を鎮めてほしい。もっと深く貫いてほしい。
快楽の期待で、人妻の瞳がとろん、と潤む。
「ど、どうだ、どうだっ、香澄! 気持ちいいかっ!」
洋介はエネルギッシュに妻の体を責めたてた。
献身的に愛撫を続け、三十代の男らしくねちっこく腰を振りたてる。ピストンのたびに高級なベッドがぎしぎしと音を立てて揺れた。
連動して、豊満な乳房が激しく揺れる。
普段は着物姿のため目立たないが、香澄のバストサイズはFカップで、仰向けになっても形を崩さない。見事な紡錘形をした双丘が、男の打ち込みに合わせてダイナミックに弾んだ。
「あっ、あっ、あっ、あっ、ああっ……!」
子供のいない夫婦だけの寝室ということもあり、香澄は遠慮なく喘ぎ声をあげた。彼のペニスが突きこまれるたびに、じんわりとした快感が下腹部を駆け巡る。
「ああ、気持ちいい。よく締まるよ、香澄」
夫の顔がだらしなく緩んでいる。
腰を突き出すようにして、男のピストンを迎え撃った。欲を言えば、もう少しピストンに変化を加えてほしいところだった。リズムも強さも一定の、あまりにも単調なストロークだった。
直線的に突くばかりでなく、腰をローリングさせたり、あるいはピストンに緩急をつけてくれたら、もっと大きな快楽を得ることができるのに……
香澄の胸に、ほんの少し不満がよぎる。
豊満なバストやむっちりとしたヒップとは裏腹に、細くくびれた腰を左右によじらせた。意識的に膣内を締め付け、夫のペニスを搾り取る。
「ううっ……」
膣粘膜の収縮が予想以上に効果的だったらしく、洋介が激しく顔をしかめた。無論、苦痛ではなく快楽の表情だ。
「もう限界だ、イクよ! イクよ!」
フィニッシュへ向かって、さらにいっそう激しく腰を打ちつけてきた。
むっちりとした香澄の尻肉を鷲づかみにし、自分のほうへと引き寄せる。よりいっそう結合を深め、顔を真っ赤にして腰を揺すった。
香澄は激しいピストン運動に呼吸を弾ませながら、
「ま、待って、私、まだイッてない……」
「俺はもう限界だってば」
「もうちょっと……もうちょっとだから、我慢してぇ」
香澄は必死で懇願した。エクスタシーの段階で言えば、まだやっと六合目くらいだ。夫にはもう少しねっとりと責めてほしかった。
が、若妻の期待も空しく、
「グッ、出る……! あっ、ヤバいっ……!」
香澄の上で、洋介の身体がフッと軽くなった。
同時に、胎内でドクドクと脈打つ感触がする。じわり……と熱い精液が膣の中で広がった。
安全日ではないし、あるいはこれで妊娠するかもしれない。結婚三年目だが香澄たちの間に子供はまだいなかった。
(赤ちゃん、できるかしら)
中出しの感触にうっとりとなる。
「ふう、気持ちよかった。やっぱり久しぶりにするとイイなあ」
夫は満足そうに腰を揺すって、最後の一滴まで香澄の中に出し切った。本当に気持ちよさそうな顔だ。
香澄はその表情を見て、また不満が込み上げてきた。
「もう、先にイクなんて。私、まだイッてなかったのに──」
夫の肉棒が引き抜かれる。秘唇を指で広げると、中出しされた精液がどろり……とこぼれ落ちてきた。
膣内にたっぷりと射精されたことを感じ、ふう、と吐息をこぼす。
「しょうがないだろ。久々だったんだから、早撃ちにもなるさ」
洋介は悪びれた様子もなく笑った。ことが終わるとそのままベッドに横になり、さっさと眠ってしまう。
「もう」
香澄は小さくため息をついた。
(そういえば、最近ちゃんとイッたことないな……セックスも一週間に一、二回だし。はあ)
一方の香澄は満たされずに悶々となっていた。
夫婦だけあって、洋介は香澄が快感を覚えるポイントをある程度知っている。
だから毎回のセックスで、それなりの快楽を得られるのだが、言い換えれば『それなりの快楽』止まりだった。
もっと目くるめくようなエクスタシーを感じたい──
香澄の秘めた思いだった。
学生時代に付き合った恋人の中には、彼女に失神するほどのエクスタシーを感じさせてくれた相手もいたが、今の夫にそこまでは望めない。
(まあ、結婚生活なんてこんなものよね)
香澄は心の中で愚痴り、それから眠りについた。
*
暗い部屋の中に、パソコンの画面が明滅する。一人の少女がせわしなくキーボードを操作している。
黒目がちのつぶらな瞳が印象的な、可憐な少女だった。色素の薄い栗色の髪の毛をシニョンにしている。幼さを感じさせる体のラインはなだらかだ。
彼女は、『断罪天使』のホームページ上では『セラフィム』という名前で管理人をしていた。
他にも彼女が管理しているサイトは全部で百七十一。
雑談用の掲示板、体験談、悩み相談……いくつもの形を取って、いくつもの情報が彼女の元に届く。
「増田冬彦、か。なかなか面白い体験談ですわね」
『セラフィム』は瞳をきらきらと輝かせた。
脅迫ネタを純粋に、己の性欲を満たすためだけに使っている。人間としては褒められた行為ではないのだろうし、そもそも犯罪だ。
だが彼女には善悪などどうでもよかった。
まだ年若いが、情報管理のエキスパートである『セラフィム』は、今までにも数え切れない人物に己の技術を提供してきた。中には正義感に燃える善人もいたし、唾棄すべき犯罪者もいた。
それらすべてに、彼女は平等に力を貸し与えてきた。
『セラフィム』が興味を抱いているのは、その人物がどう行動するか。それが己の好奇心をどれだけ満たしてくれるのか。その二点だけだ。
増田冬彦のストレートな欲望任せの行動は印象深いものだった。
今後、彼がどのように変わっていくのか。小心者が本物の悪党へと変貌する様を見てみたい。
「さあ、次は誰を落とすのかしら? じっくり見せてもらいますわよ、増田さん」
桃色の唇が笑みの形にカーブを描いた。
彼の体験談を呼んでいるうちに、下腹部が熱く湿ってくる。彼女とて思春期の少女なのだ。当然、セックスには人並みに興味を抱いている。
服の上から薄い乳房に触れ、もう一方の手をショーツの中にもぐりこませた。
「はあ……ふっ……」
悩ましげな吐息を漏らしつつ、少女は自慰を始める。
と、そのとき彼女宛にメールが届いた。脅迫ネタ送付の依頼だ。
依頼人の名は──増田冬彦。
「これで三人目の獲物ですわね」
彼女は自慰を中断し、メールを開く。
……ターゲットの名前は池畑香澄となっていた。
*
朝の十時。
洋介が会社へ出かけ、朝食の後片付けを終えると、専業主婦の香澄にとってしばらくの間退屈な時間が続く。
今日の香澄は、落ち着いた濃緑色の着物姿だった。
香澄は着物が好きで、日常生活でも好んで着ている。京都の老舗旅館のお嬢様であることも手伝い、子供のころから着物に親しんできたのだ。
いつもと同様、艶やかな黒髪は高く結い上げている。上品な美貌に薄い口紅がよく映えていた。
ふいに、チャイムが鳴った。
(こんな時間に誰かしら?)
そう思いながら、インターホンに出る。
「すいません、増田です」
どことなく気弱そうな声が返ってきた。誰だろう、と一瞬首を傾げるが、声の雰囲気ですぐに思い出した。
近所のアパートに住んでいる、増田という大学生だ。
ドアを開くと、肥満体の青年が立っていた。
「あら、増田さん。こんにちは」
香澄はにっこりと笑顔を浮かべた。
彼はこの間知り合った、近所に住む大学生だった。
丸々と太っていて、ルックスも良くはない。はっきり言えばブ男の部類に入るだろう。男性的な魅力は皆無だ。
だがいまどき珍しいほどの純朴そうな雰囲気は、香澄にとって好印象だった。
一人暮らしであまりきちんとしたものを食べていないようだし、今度夕食を作って持っていってあげよう。そんなことも考えていた。
そんな彼女の好意を知ってか知らずか、増田がにやけた笑みを浮かべた。
「こんにちは」
一歩こちらに近づくと、その拍子にたるんだ腹がぷよん、と揺れる。妊婦もかくやというほど丸々とした肥満腹だった。
おまけに来ている服は、アニメのキャラクターがプリントされたよれよれのTシャツだ。
もう少しオシャレしたほうがいいんじゃないかしら、と他人事ながら、そんなことを考えた。
「何かご用かしら」
「えへへへ、ちょっと面白い写真を仕入れたんですよ」
増田の笑みが、深くなった。
不気味さを感じさせる、嫌な笑みだった。増田の、人のよさそうな印象が薄れ、どことなく邪まな雰囲気が湧き上がる。
「写真?」
香澄が首を傾けた。
「きっと、香澄さんも気に入ると思いますよ」
と、一枚の写真を差し出した。
「これは──」
目にした瞬間、香澄の表情が凍りついた。
いつの間に?
なぜこんなものが?
どうして、彼がこれを?
頭の中でいくつもの疑問が瞬間的にわきあがり、消えていく。
思考が混乱し、パニックに陥った。
両足が震え、膝がガクガクと笑って止まらない。
「ね、面白い写真でしょ? 真面目そうな顔してる香澄さんにこんな過去があるなんてね。人は見かけによりませんねー」
増田がにやにやと笑った。
「どうして……!?」
香澄の耳元で、男の声が聞こえてきた。
それは幻聴だったのだろうか。あるいは、追憶が生み出した声なのか。
高校時代の──名門女子高・白天(はくてん)女学院に在籍していたころの、男性教師の声だった。
──へえ、君みたいな真面目な生徒がねぇ。
──いや、感激だよ。君、まだ処女なんだろ?
──援助交際なんかで初体験していいのかね?
──僕が君の初めての男になったんだね。
──まあ、こんなことは彼氏にはいえないよねぇ。
香澄にとって封印したはずの過去。
高校時代、たった一度だけ売春をしたときの写真だった。
〜第三回に続きます〜
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